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書評 -「UNIXという考え方」について - その1

Mike Gancarz著の2001年発売のかなり有名で既に読まれた方も多い著書だとは思うのだけれど、今も通じる大切なことが多く書かれていると思うので、自分なりに書評をツラツラと書いていければと思います。

これからもし読まれる方の参考になれば幸いです。

1章

UNIXの考え方におけるそれぞれの定理はシンプルで一見簡単に見える

1章ではこれから述べられるUNIXの考え方の定理が簡単にまとめてあり、その中でも1〜3の内容は他でもよく言われていることだが、意外といざ実践となると分かってはいても難しいことに気づく。

特に1の「スモール・イズ・ビューティフル」と2の「一つのプログラムには一つのことをうまくやらせる」を意識するかどうかでも実装が変わってくると思うので、常に頭の片隅に置いておきつつプログラムを書いていきたいし、その為の定石も自分の中に蓄積していきたい。

そう言えば高校の時に数学の先生がいつも「Simple is the best!」って言っていたのをふと思い出しました。

後、UNIXの成り立ちをみていてやはり基礎研究の厚みって重要だなと。基礎研究の中から企業がプロダクトにして世の中に価値提供が行われる好循環があってこそUNIXシステムやその他のオペレーティングシステムが発展してきたと思うので。

2章

とにかく小さいプログラムは素晴らしい

2章ではシンプルで小さいプラグラムの素晴らしさについて書かれている。近年柔軟性を兼ね備えたマイクロサービスアーキテクチャの様な手法が新しいものの様に取り上げられているが、実はUNIXの黎明期からそういう手法というのは存在していて、基本は変わってないのだなと。

逆に言うと近年になってもマイクロサービスアーキテクチャが取り上げられるということは裏を返せば、各々分かってはいるものの中々実際には多くの困難が伴うことを表していて、新しいサービスであればまだしも既存のサービスを変えていくことはそれだけ難しく、それは世界中の多くのサービスが抱えている問題でもあるのかなと。

それからlsコマンドがここではUNIXの理想から離れた例としてあげられていたのだが、普段全くそんなこと考えもしなかったので、UNIX力まだまだだなぁと感じました。


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以上、3章へつづく。

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